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Lee-Byung-hun addicted

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第三話「揺れる」

Fly me to the moon~3 「揺れる」

彼の帰国後、私には何もなかったような今までどおりの毎日が戻ってきた。

来春公開のフランス映画の字幕の仕事を請けていたので打ち合わせなどもあったしとにかく毎日が結構忙しい。

あの日を境に目に見えて変わったことといえばランチに韓国料理屋に行くようになったことと、ハングルを勉強し始めたことだろうか。

仕事の合間に独学でやっているので少しずつではあるが。

あの日以来私の中で何かが変わった気がしていた。

今まで恋をしたことがなかったわけではない。

それなりに人生経験を積んだ。

結婚にまで至らなかったのは最後のところで相手の懐に飛び込む勇気が私に欠けていたからだと思う。

そんな臆病者の私は最近では仕事が面白いことを理由にしてもう恋愛は卒業かなと思っていた。

若い頃のように人を好きになってドキドキすることなんてもうないだろうとも思っていた。

あの日までは。

今頃になって彼と別れたときのあのドキドキした感覚が忘れられないのだ。

だからといって韓国まで追っかけていくわけでもなく、電話をするわけでもなかった。

よく考えると連絡先だって聞いていない。

調べようと思えば何とでもなるがそうするには少し大人になりすぎていた。

ただ一日のドキドキを信じて行動できるほどもう若くなかった。

むしろドキドキする自分を確信するのは臆病な私にとって苦痛に近かった。

普通の人と結婚することさえ勇気がなくてできなかった女がどうしてあのイビョンホンに好きだと言えるだろうか。

有り得ない選択だった。

そんな私が選んだのは彼の国の料理を食べることとハングルを勉強すること。

そして彼の作品を見てみることだった。

仕事がOFFの日はビデオレンタル店の韓流コーナーに直行した。

今までの自分の趣味からは考えられない行動だった。

そして彼の作品を一通り見た。

もったいない気がして一日2本と決めていた。

DVDが出ているものの中では私は「純愛中毒」が好きだった。

しかしどの作品の彼も私の会ったビョンホンではなく、テジンでありスヒョンでありスヒョクであった。

韓流に詳しい友人に何気なく聞くとファンの間では先日まで劇場公開していた「バンジージャンプする」と私がカンヌで見損なった「甘い人生」の評判がとてもいいらしい。

残念ながらDVDのリリース前なので見ることが出来なかったが、カンヌでの評判は友人の評論家から聞いていたのでとても期待していた。

不思議なことにこうして作品を見ていると俳優イビョンホンの演技力・存在感に圧倒され理性が呼び覚まされてあの乙女のようなドキドキ感から解放されることができた。

スクリーンの中の彼の存在はあの日会った彼を夢の中の存在に変え、かなわぬ恋に終止符を打ってくれそうな気がしていた。

そして私は俳優イビョンホンのファンになった。


彼を通して知ることになった韓国映画の世界は想像以上に奥が深かった。

仕事柄とはいえ今まで見てこなかったことが映画人として恥ずかしかった。

作品的にも私の好みのものも多かった。

イビョンホンの映画を見終えた後もいろいろな作品を見続けた。

語学にアレルギーがないことや映画を見てヒヤリングで鍛えたせいか2ヶ月もするとだいぶハングルも話せるようになっていた。

皮肉なものであの日会った彼を忘れるために彼に近づいている気がした。

私は俳優イビョンホンも好きだけど韓国映画も好きなのだと自分に言い聞かせた。

それは確かに真実ではあったがそこに必死で本能を抑えている理性が存在することを自分でも否定できなかった。


もう季節はいつの間にか秋に差し掛かっていた。

9月の初め2日ほど休みがとれたのでしばらくぶりに実家に戻ることにした。

夏の間は逗子に帰るとビョンホンのことを思い出してしまう気がして知らず知らずに足が遠のいていた。

しかし時間が私の心の中のビョンホンへの想いを封印してくれたようだ。

もう帰っても思い出すことはないだろう。

彰介は大きなプロジェクトの責任者になったようで忙しいらしくめっきり合う機会が減っていた。

ただ時々元気か?とメールをくれた。

簡単なメールで当然ビョンホンのことが話題になることもなかった。

そのたび私は元気だよと返信した。

夜仕事を早めに終えた足で逗子に戻った。

「ただいま~」玄関を入っても返事がない。

留守なわけでもなさそうなのに母は書斎にもキッチンにもいなかった。

父を探して彼自慢のDVDシアタールームに入ると夫婦仲良く並んでDVDを見ている。

個人主義の我が家では有り得ない光景だった。

画面にはエンディングの見慣れた渓谷から飛び立っていくカメラの映像が流れていた。

(バンジージャンプだ)すぐにわかった。

二人に余韻を楽しませてあげるためにそっと部屋をでた。

キッチンに行って冷たいビールを飲む。

不意に自分が一人でいるということがとても寂しく思えた。

そのうち父と母が部屋から出てきた。

「なかなか良かったね。」

「ビョンホン君ほんと演技が上手よね」

二人で映画のいろいろな場面について語り合っている。

久しぶりに帰ってきた娘に全く気がつかないようである。

「ただいま」もう一度言った。

「あっお帰り」
「でね・・・」
(それだけなんだ・・)

自分だけ一人だということを体感してしまった今の私にとってはつらい仕打ちだ。

でもしょうがない。

自分で選んだ道だ。

気持ちを切り替えてこの老夫婦のバンジーに関するレビューに耳を傾けることにした。

インウ先生の心の揺れがいいといい、死なないでそのまま二人で仲良く暮らすっていうのはやっぱなしだよな・・最後死なないと生まれ変われないしねぇ・・と勝手なことを言っている。

この二人にしては実に一般的な感想だ。

「で、あなたはどう思った?」

母が私に振ってきた。

「えっ!」

突然のことで動揺した。

「見たんでしょ?当然」

となぜかニヤニヤ笑いながら聞いてくる。

私はふと「忙しくて見ていない」と嘘をついた。

「そうなんだ・・すごく面白いから見てみなさいよ。ねえあなた」

「なんだ、見てないのか。
薄情だな。
そうだビョンホン君に感想のメール送らないと」

父はいそいそと書斎に入っていった。

「父さんたらあれ以来大のビョンホンファンになっちゃって年中彼にメールしてるのよ。
ビョンホン君もいい人だから返事くれるらしくって喜んじゃって。

そういう私も今度9月のイベント行ってみようと思って。
チケット取れたから響子とね。
今からワクワクよ。
やっぱりステージに立った彼も見ておかないと」

ここも私以上にとんでもないことになっていた。

彼は老若男女問わず夢中にさせる何かを持っているようだ。

特に我が家の人々には特別効いてしまうようである。

最初に会ったとき彼のいろいろな姿を見て彼を知りたいと思ったことを思い出した。

いったい彼の何が人をここまで惹きつけるのか。



夜遅くひとりDVDルームでバンジーを見る破目になった。

気を利かせてくれた母が「一人で堪能しなさい」といって私を押し込んだ。

本当は私も大好きな作品でDVDを買って何度も見ていた。

なぜ嘘をついたのか自分でも不思議だがたぶん母たちに自分がビョンホンに興味のあることを悟られたくなかったからかもしれない。

もう冷静に見られる自信があった。

ビョンホンの件は2ヶ月かかって自分の中で既に整理をつけた問題であった。

子どもの頃から一度決めたことに関してくよくよ悩むタイプではない。

決めたら最後貫くだけである。

今回私は彼に決して思いを告げないと決めたのだ。

だからもう後悔しない。

私はDVDのスイッチを入れインウの世界に飛び込んだ。



深夜遅く彰介からメールが届いた。

「今どこにいる?」というものだった。

「珍しく逗子に帰っている。元気?」と返信した。

「今日、逗子に行く。久々にボードでもしよう。連絡する。」

(どういう風の吹き回しだろう)

久々の連絡に戸惑いを隠せなかった。




その日、彰介から連絡が来たのはお昼ごろだった。

「3時ころ着くので浜で待ち合わせ。来いよ」

実に自分本位のメールである。

人を何だと思っているのか。

久々に会った彰介は見かけは少し大人になった気がした。

ボードをしながら合間合間にお互いの仕事のことなど近況を報告しあった。

気心が知れているので彼と話しているのはとても楽だった。

きっとお互いにそう思っているに違いない。



「夕飯うちで食べれば?」というと

「いや、今日は外で二人で食べよう」

そんなことは今まであまりなかった。

「別にいいけど・・」

不審に思いながらも一緒に食事をすることにした。

入った店は初めての店だった。

家族が良く使うこともあってたいていの店はどちらかの行きつけだったりするのだが彰介は今日は敢えて知り合いのいない店を選んだようだ。

彼は実に単刀直入に聞いてきた。

「あれからヒョンに連絡した?」

一瞬ドキッとした。

「連絡先なんて聞いてないし、特に用があるわけでもないのに連絡しないでしょ。

それに私も彼も忙しいし。

いちいち知り合いがみんな連絡したら迷惑じゃない。」

「ふーん。ただの知り合いなんだ。

僕はヒョンが大好きだから忙しくても連絡してるよ。

君にメールするのと同じように。

元気?って。

彼も返してくれるよ。

君のお父さんもお母さんもうちの母からの情報によるとヒョンが大好きでよく連絡してるみたいじゃないか。

君だけ連絡しないというのは不自然だよね。

彼と何かあったの?」

「何もないからしないんじゃない。

連絡するもしないも私の自由でしょ。

人の心配より自分の心配しなさいよ。」

冷静なつもりだったのに語気を荒げてしまった。

「まあ、落ち着けよ。

いい、よく考えて。

君と僕はずっと兄弟のように付き合ってきた。

恋人として過ごした時期もある。

だから僕はいえるんだ。

多分僕は今のところ一番君を理解していると。

実はあれからヒョンはよく僕に君の事をメールで尋ねてくる。

元気かとか仕事はうまくいっているのだろうかとかそんなこと自分で聞けばいいのにと言って君のアドレスを教えたんだ。

でもヒョンはメールはしないと言った。

どうしてかと尋ねるとしばらく考えた後に言ったんだ。

多分彼女とこれ以上親しくなると自分の彼女を好きだという気持ちに歯止めがかけられなくなるだろう。

もし自分と付き合うことになったら彼女は始終マスコミから追われたり心無い人に嫌がらせをされたりしてきっと傷つく。

そんなつらい思いを彼女に強いることは僕にはできないんだ。

だけど元気でいるかどうしているか気になるから彰に聞くんだよ。
って。

僕はぴんと来た。

君がヒョンに連絡しないのは同じような理由なんじゃないかって。

たぶんヒョンと話したら自分の気持ちをコントロールできないくらいヒョンのことが好きになったんじゃないかってね。

だから不自然なくらい無関心を装ってる。

ほんとは会いたくて仕方がないくせに。

君は昔から素直じゃないからね。

でも何だって自分の気持ちを抑える必要があるんだい?

好きなら好きって言っちゃえばいいのに。君らしくもない。」


私は彼の話の途中から涙をこらえるのに必死だった。

ビョンホンがそんな風に私を思っていてくれたことが嬉しかった反面自分の存在が彼を悩ませていたということがいたたまれなかった。

切なかった。

「私らしいって何?彰介に何がわかるのよ。

この2ヶ月間どうやったら彼を忘れられるか必死だった。

なぜ忘れる必要があるかって?

なぜ諦めなきゃいけないかって?

もう好きだからという理由だけで胸に飛び込むにはお互いしょってるものが多すぎるのよ。

そう、あの日一日で私は恋に落ちた。

自分でも信じられないよ。

だから私と結婚してくださいなんて言えないよ。

仕事は家は家族は?私はまだいい。

彼がきっと大変な思いをすることになる。

もっと若くて綺麗な子だって選り取りみどりじゃない!」

自分の口から出た言葉にびっくりした。

私はそんなことを気にしていたのだろうか。

自分で自分がわからなくなっていた。

いつからそんな考え方になっていたんだろうか。

ビョンホンが外見で人を見るような人ではないことも自分の損得だけで物事を判断するような人ではないこともわかっていた。

ただ彼の気持ちを知ろうとしないまま知るのが怖くて逃げていたのだ。

彰介の言うとおり私らしくないと思った。

そんな自分が大嫌いだった。

涙が止まらない。

「吐き出してみてわかっただろ?

いつもの冷静で前向きな君なら何もしないで諦めようなんて思うはずがない。

ヒョンの気持ちを知った今ならきっと何の問題もないはずだ。

皆君たちの味方だから。

ヒョンに会って確かめておいで」

彰介は明日の朝一のソウル行きの飛行機のチケットを差し出した。

「誰も貰い手がいなかったら嫁にもらってやろうと思ってたのにちょっと残念だよ。

でも相手がヒョンなら仕方がないな。」

といって笑った。

「彰介、ありがとう。明日行ってくるね。」

私はもういつもの自分を好きな自分に戻っていた。


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